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カスタマーレビュー
おすすめ度:
( =ω=.)<こなた と かがみ の宗教教団 その2
(2008-03-26)
〜もうひとつの歴史〜
(;//Д//)<宗教をつくる・・?宗教をつくるって なに 考えてんの?
( =ω=.)<私が 北欧神話とか、ローマ神話とかギリシャ神話オタクなのは知ってるでしょ
(;//Д//)<じゃあ新しい神話とかを考えたの?聞いてあげるわよ
( =ω=.)<神話じゃなくて 宗教だョ
(;//Д//)<じゃあ、その宗教は一体、何の神様とかがいるの?
( =ω=.)<神様はたった一人しか出てこないョ ただし全知全能なんだョ
(;//Д//)<それじゃあ、お話にならないじゃない?
( =ω=.)<なるんだョ 宗教の名は 『らき☆すた』教 蛮族を人間にするんだョ
(;//Д//)<でも、そんな新興宗教、みんな 信じるかしら・・多民族の寄せ集めだし・・
民族ごとに色々な神様を信じてるのよ
( =ω=.)<たくさんの民族がいるから、内乱が絶えないんでしょ、だから、一つの宗教
に絞らせる必要があるんじゃん。
(;//Д//)<どうやって信じさせるの?
( =ω=.)<方法はいくらでもあるョ 私にはローマがついてんだョ みゆきさん
( ○д○) <はい 泉さん、私の計算では 12日後あたり 日食が起きるようなんです。
(;//Д//)<ちょっと待て 日食って何だ?
( =ω=.)<ははは、なんでも太陽が一時的に消えるみたいだね 私もよくわかんないけど
これが本当なら・・らき☆すた教は一気に・・・宗教のメインストリームに・・・
そして私達はネ申の代行者になれるわけだョ
(;//Д//)<でも・・科学が発達して、そういうのが計算で分かる事がバレたら・・・
( =ω=.)<そうさせないために・・らき☆すた教があるんだョ
らき☆すた教は地動説を徹底的に否定するからネ。アレキサンドリア・ミート図書館は全焼したし、地動説の文献はこの世には残っていないんだョ。
地動説を知っているのは、私達だけ。これを利用して、私達はネ申の代行者になるんだ。
「無宗教」の中身を掘り下げた著書
(2008-02-28)
ここでは、「無宗教」と言われるものの中身・実態が掘り下げられている。
タイトル通り「無宗教」とは何か、を論じているものである。
「著者」は日本における宗教を、特定の教えと開祖が存在する「創唱宗教」と、それらがない生活の中に溶け込んだ「自然宗教」とに分けて把握する。
「宗教」は明治時代に生み出された造語であり、それまでの日本人の信仰生活を論じている。
そして以下の二つの視点から日本の「無宗教」を論じている。
「宗教」という造語が政治的思惑も絡みながらそれらの実態からかけ離れ、ゆがめていった過程。
そして、日本における村落共同体における宗教(ここでは「創唱宗教」)が根付かない要因としての「日常主義」。
そして、日本において精神生活の豊かな地域の例を取り上げ、「無宗教」の中身が決して宗教や神観念の全否定のような「無神論」ではなく、むしろ精神的豊かさに溢れていることを示してくれる。
日本においてかつてより脈々と営まれてきた精神生活が存在し、その実態と新たにつくられた「宗教」という言葉の乖離が「無宗教」という事態を生み出していることがわかる。
そして、日本人が歴史的に「無宗教」と言われるような精神的な貧困にあるのではなく、「宗教」という言葉には当てはまらない独自の豊かな精神生活を育んできた、ということを気付かせてくれる。
と同時に、自らの豊かな精神生活は、自らの周りで自らの手で足元から築きあげていくものだ、ということにも気付かされた。
日本人の宗教観について歴史や風土から見つめた説
(2008-01-14)
日本人は本当に無宗教なのか?特定宗教を避けるようになっている日本人の宗教観の風土をつきつめた作品。ある意味、なるほどとも思えるがこれは1つの説(1つの解答)であって、真実かどうかは別である。本書は宗教を心の問題から見つめているが、個人的には宗教はコミュニティのひとつの形状だと思っている。国土侵略や移住が頻繁に起こりえる歴史を持つ欧米では人々のつながりは民族や宗教という形式で支えられている。宗教組織は一種の地域コミュニティであり日本でいえば部落や村社会といったところ。牧師は長老であり、教義は村の掟である。特定宗教が日本に定着していないのは、定住が生活のスタイルであった日本人と移住が常の欧米人との違いと思う。欧米での心理カウンセラーの代わりを日本では占い師がつとめているのに似ている。ひとつのテーマには色々な説がある。これもそうした一説と思って読むと良いと思う。
おだやかな宗教でありたい日本人
(2007-07-30)
阿満氏は、生きている時に信仰する宗教を 「創唱宗教(教祖と教義があって、それを信じる人たちがいる)」と、「自然宗教(昔からあって自然発生的なもの)」に分けた。
それからもうひとつ、死んだあとにお世話になる宗教を 「葬式宗教(主に仏教)」と定義している。
「わたしは無宗教」 とは、創唱宗教の教徒ではありませんという意味で、本来の宗教心がないわけではない。
心の中には神さまや菩薩さまがいて、折節(おりふし)には敬虔な気持ちで宗教行事に臨んでいるのだから。
阿満氏は日本人の仏教徒である。
彼の本はあくまでその立場からの分析であるため、例えば浄土真宗にこだわっているし、創唱宗教としての仏教をもう一度広めたいという気持ちが強い。
柳田国男、民俗学、民話等、盛りだくさんな内容である。
それでもわたしには読みやすかったし、生前の宗教/死後の宗教が併存する日本の土壌が理解できてよかった。
とにかく無難に平穏に生きたい日本人の「平凡好き」が、創唱宗教を極力避けているという考えも、その通りだと思う。
「私たち」の価値を心から実感するために
(2005-04-25)
あらためてこの「古典」を読み直してみた。いろいろとひっかっかる部分もあるが、やはり名作だろうと思う。「日本人」は「無宗教」かどうか、というのは、実はそれほど重要ではなく、むしろ、なんで私たちは「宗教」(狭い意味での・「創唱宗教」)を生理的に避けたがるのか、という謎を説くためのヒントを得るためにこそ、本書は読まれるべきだ。
著者は、古代から近世にわたる日本の「宗教」の歴史をおおまかに、しかし本質をスマートにつかんで説明し、ついで、近代の国家政治が整えた「宗教」に対する「日本人」の態度の、構造的なゆがみの成立過程を解読し、そして、この国の「日常」の強さが、どれだけ私たちの意識や感覚をソフトにしばりつけているのか、を解明していく。こうなってきたから、言葉の上でも実践の上でも、「宗教」は「私たち」とは「別」のもの、一般には必要だが、「自分」には「不必要」なもの、いや、それだけでなく、「あやし」かったり「恐」かったりするものとして、出来上がってきたのだ、と著者は、間違いなく「宗教」に好意的な論者として、ほとんど嘆いている。
でも、「日常」と、あとは軽い「年中行事」や「葬式仏教」があれば、それでいいではないか、と問われれば、それは全く正しい。なぜ「宗教」の「大切さ」みたいなのを、あえていうのか。「教養」を求める人や、すでに「宗教」に生きている誠実な人に対してでなければ、自明性はあまりない。だから、本書の最終章にあるような、こんな「宗教」への入り方も、日本にはあるんですよ、としみじみ語る文章は、それ自体としては優れているが、やはり「浮いて」いるように感じられる。「布教」かな、と失礼だが嫌な気分になるのである。そしてそう感じている「自分」の、「宗教」への忌避感に自覚的になって、ああ、やはりこの価値からは自由になれない、という結論に至る。
おすすめ度:
( =ω=.)<こなた と かがみ の宗教教団 その2
〜もうひとつの歴史〜
(;//Д//)<宗教をつくる・・?宗教をつくるって なに 考えてんの?
( =ω=.)<私が 北欧神話とか、ローマ神話とかギリシャ神話オタクなのは知ってるでしょ
(;//Д//)<じゃあ新しい神話とかを考えたの?聞いてあげるわよ
( =ω=.)<神話じゃなくて 宗教だョ
(;//Д//)<じゃあ、その宗教は一体、何の神様とかがいるの?
( =ω=.)<神様はたった一人しか出てこないョ ただし全知全能なんだョ
(;//Д//)<それじゃあ、お話にならないじゃない?
( =ω=.)<なるんだョ 宗教の名は 『らき☆すた』教 蛮族を人間にするんだョ
(;//Д//)<でも、そんな新興宗教、みんな 信じるかしら・・多民族の寄せ集めだし・・
民族ごとに色々な神様を信じてるのよ
( =ω=.)<たくさんの民族がいるから、内乱が絶えないんでしょ、だから、一つの宗教
に絞らせる必要があるんじゃん。
(;//Д//)<どうやって信じさせるの?
( =ω=.)<方法はいくらでもあるョ 私にはローマがついてんだョ みゆきさん
( ○д○) <はい 泉さん、私の計算では 12日後あたり 日食が起きるようなんです。
(;//Д//)<ちょっと待て 日食って何だ?
( =ω=.)<ははは、なんでも太陽が一時的に消えるみたいだね 私もよくわかんないけど
これが本当なら・・らき☆すた教は一気に・・・宗教のメインストリームに・・・
そして私達はネ申の代行者になれるわけだョ
(;//Д//)<でも・・科学が発達して、そういうのが計算で分かる事がバレたら・・・
( =ω=.)<そうさせないために・・らき☆すた教があるんだョ
らき☆すた教は地動説を徹底的に否定するからネ。アレキサンドリア・ミート図書館は全焼したし、地動説の文献はこの世には残っていないんだョ。
地動説を知っているのは、私達だけ。これを利用して、私達はネ申の代行者になるんだ。
「無宗教」の中身を掘り下げた著書
ここでは、「無宗教」と言われるものの中身・実態が掘り下げられている。
タイトル通り「無宗教」とは何か、を論じているものである。
「著者」は日本における宗教を、特定の教えと開祖が存在する「創唱宗教」と、それらがない生活の中に溶け込んだ「自然宗教」とに分けて把握する。
「宗教」は明治時代に生み出された造語であり、それまでの日本人の信仰生活を論じている。
そして以下の二つの視点から日本の「無宗教」を論じている。
「宗教」という造語が政治的思惑も絡みながらそれらの実態からかけ離れ、ゆがめていった過程。
そして、日本における村落共同体における宗教(ここでは「創唱宗教」)が根付かない要因としての「日常主義」。
そして、日本において精神生活の豊かな地域の例を取り上げ、「無宗教」の中身が決して宗教や神観念の全否定のような「無神論」ではなく、むしろ精神的豊かさに溢れていることを示してくれる。
日本においてかつてより脈々と営まれてきた精神生活が存在し、その実態と新たにつくられた「宗教」という言葉の乖離が「無宗教」という事態を生み出していることがわかる。
そして、日本人が歴史的に「無宗教」と言われるような精神的な貧困にあるのではなく、「宗教」という言葉には当てはまらない独自の豊かな精神生活を育んできた、ということを気付かせてくれる。
と同時に、自らの豊かな精神生活は、自らの周りで自らの手で足元から築きあげていくものだ、ということにも気付かされた。
日本人の宗教観について歴史や風土から見つめた説
日本人は本当に無宗教なのか?特定宗教を避けるようになっている日本人の宗教観の風土をつきつめた作品。ある意味、なるほどとも思えるがこれは1つの説(1つの解答)であって、真実かどうかは別である。本書は宗教を心の問題から見つめているが、個人的には宗教はコミュニティのひとつの形状だと思っている。国土侵略や移住が頻繁に起こりえる歴史を持つ欧米では人々のつながりは民族や宗教という形式で支えられている。宗教組織は一種の地域コミュニティであり日本でいえば部落や村社会といったところ。牧師は長老であり、教義は村の掟である。特定宗教が日本に定着していないのは、定住が生活のスタイルであった日本人と移住が常の欧米人との違いと思う。欧米での心理カウンセラーの代わりを日本では占い師がつとめているのに似ている。ひとつのテーマには色々な説がある。これもそうした一説と思って読むと良いと思う。
おだやかな宗教でありたい日本人
阿満氏は、生きている時に信仰する宗教を 「創唱宗教(教祖と教義があって、それを信じる人たちがいる)」と、「自然宗教(昔からあって自然発生的なもの)」に分けた。
それからもうひとつ、死んだあとにお世話になる宗教を 「葬式宗教(主に仏教)」と定義している。
「わたしは無宗教」 とは、創唱宗教の教徒ではありませんという意味で、本来の宗教心がないわけではない。
心の中には神さまや菩薩さまがいて、折節(おりふし)には敬虔な気持ちで宗教行事に臨んでいるのだから。
阿満氏は日本人の仏教徒である。
彼の本はあくまでその立場からの分析であるため、例えば浄土真宗にこだわっているし、創唱宗教としての仏教をもう一度広めたいという気持ちが強い。
柳田国男、民俗学、民話等、盛りだくさんな内容である。
それでもわたしには読みやすかったし、生前の宗教/死後の宗教が併存する日本の土壌が理解できてよかった。
とにかく無難に平穏に生きたい日本人の「平凡好き」が、創唱宗教を極力避けているという考えも、その通りだと思う。
「私たち」の価値を心から実感するために
あらためてこの「古典」を読み直してみた。いろいろとひっかっかる部分もあるが、やはり名作だろうと思う。「日本人」は「無宗教」かどうか、というのは、実はそれほど重要ではなく、むしろ、なんで私たちは「宗教」(狭い意味での・「創唱宗教」)を生理的に避けたがるのか、という謎を説くためのヒントを得るためにこそ、本書は読まれるべきだ。
著者は、古代から近世にわたる日本の「宗教」の歴史をおおまかに、しかし本質をスマートにつかんで説明し、ついで、近代の国家政治が整えた「宗教」に対する「日本人」の態度の、構造的なゆがみの成立過程を解読し、そして、この国の「日常」の強さが、どれだけ私たちの意識や感覚をソフトにしばりつけているのか、を解明していく。こうなってきたから、言葉の上でも実践の上でも、「宗教」は「私たち」とは「別」のもの、一般には必要だが、「自分」には「不必要」なもの、いや、それだけでなく、「あやし」かったり「恐」かったりするものとして、出来上がってきたのだ、と著者は、間違いなく「宗教」に好意的な論者として、ほとんど嘆いている。
でも、「日常」と、あとは軽い「年中行事」や「葬式仏教」があれば、それでいいではないか、と問われれば、それは全く正しい。なぜ「宗教」の「大切さ」みたいなのを、あえていうのか。「教養」を求める人や、すでに「宗教」に生きている誠実な人に対してでなければ、自明性はあまりない。だから、本書の最終章にあるような、こんな「宗教」への入り方も、日本にはあるんですよ、としみじみ語る文章は、それ自体としては優れているが、やはり「浮いて」いるように感じられる。「布教」かな、と失礼だが嫌な気分になるのである。そしてそう感じている「自分」の、「宗教」への忌避感に自覚的になって、ああ、やはりこの価値からは自由になれない、という結論に至る。
