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おすすめ度:
メタモルフォーゼされた、イエス・キリスト。
(2008-11-10)
以下書くことは、人から聞いた話である。
グレゴール・ザムザはなぜ、毒虫にならなければならなかったのか。
彼は一家を養っていた。グレゴールからしたら、養っている家族のほうが、お邪魔虫であり、寄生虫のようなものであったはずだ。彼には罪はなかった。罪があるとすれば、家族を邪魔者と、――たとえそれが潜在意識の中でしかなかったとしても、――考えてしまっていたこと、かもしれない。グレゴールは、自分の意志とは無関係に、結果的に、家族を救った、と言える。ひたすら養われていた一方だった彼らは、いわば、生ける屍のようなものだった。グレゴールの死により、彼らは、息を吹き返した。本当に、生きはじめることが出来た。聖書の言葉を借りれば、一粒の麦が地に落ちて、多くの実を結んだのである。そう、グレゴールは、メタモルフォーゼされた、イエス・キリストなのだ。
以下は、私が考えたことである。
誰かに養われる、というのは、後ろめたい気持ちが伴う。グレゴールには、家族が抱いていた、そんな後ろめたさを察する優しさが必要だったのではないか。彼にその優しさがあったならば、彼は毒虫にもならず、死なずにすんだかも知れない。家族全員、助け合って生きていく道も開けたかもしれない。当たり前のことだけれど、私たちは、一人では生きていけない。迷惑を掛け合いながら、お互い助け合っていかなければ、生きる道は開けない。カフカ自身は、こんな、お説教くさいことを言いたかったわけではあるまい。ただ、生まれてこの方、迷惑をかけっぱなしの私は、そんな風に考えさせられたまでの話である。
以下は、私の戯言である。
九頭見和夫氏は、本作「変身」と太宰治の短篇小説「花火」とを比較し、太宰が「変身」を翻案し、「花火」を創作した可能性がある、と指摘している。「変身」を「花火」に〈変身〉させてしまった太宰。〈変身〉。太宰は、〈変身〉願望を根強く持っていた、と私は思う。町田康さんは、人の肉体を〈宿〉にたとえ、不滅の〈魂〉が、〈宿〉から〈宿〉へ泊り歩く寓話を、「宿屋めぐり」に書いた。太宰の人生そのものが、〈宿屋めぐり〉だったのではないか、と私は考えている。
太宰の創作した作品が〈宿〉であり、太宰の〈魂〉は作品という名の〈宿〉から〈宿〉へと旅を続けていったのではないか。芭蕉が、〈旅人〉と呼ばれんとして、つまりは、名もない〈旅人〉と呼ばれんとして、漂泊の旅を続けたように。それは、〈自分〉を〈他人〉へと、一歩、また一歩、と近づける努力である。それは、彼が究極のモットーとした、〈己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せ〉に通ずる努力だった、と私は思いたい。私の文章は、まったく、論理的でないかもしれない。しかし、人は、論理だけで生きているわけではない。盗人にも三分の理、という。私にあるのは、どうやら、これだけらしい。
内容重たすぎ…
(2008-09-20)
朝起きるとザムザ君が虫になってるという、言わずと知れたカフカの代表作。さまざまな解釈があると思いますが、僕は他の作品同様テーマは『孤独』や『疎外』だと思います。ある心境に達するともはや人間は虫になってしまうといったかんじでしょうか。短いですがとても深い内容で、何度読んでも飽きません。しかし、いくらなんでもザムザは可哀想です。虫になったことではありません。一家を支えていたザムザが邪魔者となり慕っていた妹にも見捨てられ、孤独の内に死に、一家は再出発の希望を抱く。ある種の効力を発揮していた者も、不要になると捨てられてしまう、なんだかホッカイロみたいな扱いです。しかも僕の大好きなカフカ特有の無駄な長台詞や比喩、シュールな展開(出だしは死ぬほどシュールですが)がほとんど無いので、☆4つにしました。
虫になっただけじゃない、毒虫
(2008-08-28)
主人公はある日、職を失い、家族の信頼を失う。
働くべく前の職場に行っても追い返され、努力しても新しい職にもつけない。
やがて家族の中で「こいつはうちに居ない」ことにされる。
部屋から出ることも、家族の輪に入ることもできない。
うっかり人前にでてしまうと、とんでもないことをしたかのように言われる。
あげく、こんななら出て行くのが当然のように扱われ見殺しにされる。
死ぬ前に出て行けばよかったのか、出て行けば何とかなったのか。
これはそう言う話。
「毒虫になった」てのはきっかけでそれは「失業した」「病気になった」「ぼけた」など言い換えることができる。何かがきっかけで家族が家族でなくなるとどういうことになるか。
毒虫から立ち直るのにこの家族は何もしない。毒虫として扱うだけ。
結果、主人公は死に家族はすっきりとふたたび「きれいな家族」として暮らして行く。
いや、恐ろしい話だけど「毒虫になる」を文字通りとらなければ現実にありそうなホラー。
出だしだけで衝撃的。傑作。
(2008-08-15)
こんな小説があったなんて、衝撃でした。
「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した。」
という出だし。
出だしだけで衝撃的。
でもおもしろい。
絶対に読むべき傑作です。
普通の感覚では読めない
(2008-07-15)
シューレアリズムの傑作だが、理解するにはそれ相応の人生経験が必要となる。
故に中高生10代、20代でもついて行ける代物ではない。
残酷なまでの現実感と設定は読む者をひたすら打ちのめす。
これが駄作だというのなら門前払いだ。
あと10〜15年は人生を積んで再びトライすべきだろう。
おすすめ度:
メタモルフォーゼされた、イエス・キリスト。
以下書くことは、人から聞いた話である。
グレゴール・ザムザはなぜ、毒虫にならなければならなかったのか。
彼は一家を養っていた。グレゴールからしたら、養っている家族のほうが、お邪魔虫であり、寄生虫のようなものであったはずだ。彼には罪はなかった。罪があるとすれば、家族を邪魔者と、――たとえそれが潜在意識の中でしかなかったとしても、――考えてしまっていたこと、かもしれない。グレゴールは、自分の意志とは無関係に、結果的に、家族を救った、と言える。ひたすら養われていた一方だった彼らは、いわば、生ける屍のようなものだった。グレゴールの死により、彼らは、息を吹き返した。本当に、生きはじめることが出来た。聖書の言葉を借りれば、一粒の麦が地に落ちて、多くの実を結んだのである。そう、グレゴールは、メタモルフォーゼされた、イエス・キリストなのだ。
以下は、私が考えたことである。
誰かに養われる、というのは、後ろめたい気持ちが伴う。グレゴールには、家族が抱いていた、そんな後ろめたさを察する優しさが必要だったのではないか。彼にその優しさがあったならば、彼は毒虫にもならず、死なずにすんだかも知れない。家族全員、助け合って生きていく道も開けたかもしれない。当たり前のことだけれど、私たちは、一人では生きていけない。迷惑を掛け合いながら、お互い助け合っていかなければ、生きる道は開けない。カフカ自身は、こんな、お説教くさいことを言いたかったわけではあるまい。ただ、生まれてこの方、迷惑をかけっぱなしの私は、そんな風に考えさせられたまでの話である。
以下は、私の戯言である。
九頭見和夫氏は、本作「変身」と太宰治の短篇小説「花火」とを比較し、太宰が「変身」を翻案し、「花火」を創作した可能性がある、と指摘している。「変身」を「花火」に〈変身〉させてしまった太宰。〈変身〉。太宰は、〈変身〉願望を根強く持っていた、と私は思う。町田康さんは、人の肉体を〈宿〉にたとえ、不滅の〈魂〉が、〈宿〉から〈宿〉へ泊り歩く寓話を、「宿屋めぐり」に書いた。太宰の人生そのものが、〈宿屋めぐり〉だったのではないか、と私は考えている。
太宰の創作した作品が〈宿〉であり、太宰の〈魂〉は作品という名の〈宿〉から〈宿〉へと旅を続けていったのではないか。芭蕉が、〈旅人〉と呼ばれんとして、つまりは、名もない〈旅人〉と呼ばれんとして、漂泊の旅を続けたように。それは、〈自分〉を〈他人〉へと、一歩、また一歩、と近づける努力である。それは、彼が究極のモットーとした、〈己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せ〉に通ずる努力だった、と私は思いたい。私の文章は、まったく、論理的でないかもしれない。しかし、人は、論理だけで生きているわけではない。盗人にも三分の理、という。私にあるのは、どうやら、これだけらしい。
内容重たすぎ…
朝起きるとザムザ君が虫になってるという、言わずと知れたカフカの代表作。さまざまな解釈があると思いますが、僕は他の作品同様テーマは『孤独』や『疎外』だと思います。ある心境に達するともはや人間は虫になってしまうといったかんじでしょうか。短いですがとても深い内容で、何度読んでも飽きません。しかし、いくらなんでもザムザは可哀想です。虫になったことではありません。一家を支えていたザムザが邪魔者となり慕っていた妹にも見捨てられ、孤独の内に死に、一家は再出発の希望を抱く。ある種の効力を発揮していた者も、不要になると捨てられてしまう、なんだかホッカイロみたいな扱いです。しかも僕の大好きなカフカ特有の無駄な長台詞や比喩、シュールな展開(出だしは死ぬほどシュールですが)がほとんど無いので、☆4つにしました。
虫になっただけじゃない、毒虫
主人公はある日、職を失い、家族の信頼を失う。
働くべく前の職場に行っても追い返され、努力しても新しい職にもつけない。
やがて家族の中で「こいつはうちに居ない」ことにされる。
部屋から出ることも、家族の輪に入ることもできない。
うっかり人前にでてしまうと、とんでもないことをしたかのように言われる。
あげく、こんななら出て行くのが当然のように扱われ見殺しにされる。
死ぬ前に出て行けばよかったのか、出て行けば何とかなったのか。
これはそう言う話。
「毒虫になった」てのはきっかけでそれは「失業した」「病気になった」「ぼけた」など言い換えることができる。何かがきっかけで家族が家族でなくなるとどういうことになるか。
毒虫から立ち直るのにこの家族は何もしない。毒虫として扱うだけ。
結果、主人公は死に家族はすっきりとふたたび「きれいな家族」として暮らして行く。
いや、恐ろしい話だけど「毒虫になる」を文字通りとらなければ現実にありそうなホラー。
出だしだけで衝撃的。傑作。
こんな小説があったなんて、衝撃でした。
「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変っているのを発見した。」
という出だし。
出だしだけで衝撃的。
でもおもしろい。
絶対に読むべき傑作です。
普通の感覚では読めない
シューレアリズムの傑作だが、理解するにはそれ相応の人生経験が必要となる。
故に中高生10代、20代でもついて行ける代物ではない。
残酷なまでの現実感と設定は読む者をひたすら打ちのめす。
これが駄作だというのなら門前払いだ。
あと10〜15年は人生を積んで再びトライすべきだろう。
