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おすすめ度:
食わず嫌いしては非常にもったいない作品
(2008-09-19)
ほとんどの教科書に収録されている『山月記』ですが、
未読の方には是非おすすめしたいの名作です!!
才能のある男が虎になった後の苦悩が、
漢字の多い硬質な文体と絡み合ってものすごく良く伝わってきます。
先の才能ある男が作った漢詩にその友人が「格調高雅」と評するのですが、
この言葉はまさしく中島敦の書く文に対して与えられるべきと思います!!
話そのものは悲しいのですが、「読む(読み解く)楽しさ」を
味わわせてくれるという点ではこれまで読んできた小説の追随を許しません。
他の三作品では、『弟子』が心を打ちました。
孔子の弟子・子路が主人公です。弟子になる前の彼は、
すばらしい剣の腕をもち、むしろ無頼漢といった印象があります。
ところが、孔子の人間性の大きさに触れて、弟子になることを決めます。
自分の考えと違うことは堂々と孔子に問い質し、ぶつかっていきます。
孔子のほうもやわらかく大きな心で諭し、子路の気づきを待ちます。
素晴らしい師弟愛がえがかれています。最後の場面では泣けました。
弟子を失った孔子の悲しさが、しみじみと伝わってくるのです。
この短編集は420円では安い。安すぎる。「読む楽しさ」だけでなく、
様々な漢字にであうチャンスを与えてくれます。
本当に力のある小説家だと思います。早く世を去ったのが悔やまれてなりません。
硬質で格調高い日本語
(2008-08-03)
言葉は韻律を楽しむものなのだなぁと思わせてくれる、漢文調の日本語が素晴らしい。
これだけ硬質で綺麗な言葉を書ける作家は他にはいないと思う。
「山月記」については他の方に十分語りつくされているようなので、「李陵」について。
「李陵」は、功名心から歩兵のみを率いて匈奴遠征に赴き、善戦したものの破れて匈奴に降服した李陵と、
匈奴に降った李陵の弁護をしたばかりに宦官にされた司馬遷と、
匈奴に捕らわれたものの匈奴に降伏せずに漢への節義を貫き、のちに漢へ帰った蘇武の物語である。
李陵を軸に、三者三様の人生観が描かれている。
「山月記」の李徴は、虎に転じることでそれ以前の人生のくびきから逃れることができた訳だが、
李陵にはそれができず、過去の敗北を引きずりながら鬱々とした思いに耐えるよりなかった。
とくに李陵の蘇武に対する捉え方ない思いが痛々しい。
例えば紫の木蓮のよう
(2008-04-17)
本をあまり読んでこなかった私にもその文章の美しさが分かります。
例えば、近所の山沿いの畑の近くにある紫の木蓮の大木を見るとき、山の上に浮かぶ冴え冴えとした月を望むとき、芍薬の花の香りをかいだとき、中島敦の文章が思い起こされます。
香り高くて、声に出して読みたくなります(誰もいないときはつい声に出してしまう)。
こんな美しい文章が書けたら、こんな風に適切な距離を保ちつつも自分の想いを、情を充分に言葉に尽くせたら、日記を書くのが幸せになるだろうな(低俗な考えになってすみません)。
「我が臆病な自尊心と…」のくだりは、私の若いころの悪いところを言い表してくれているようです。美しい言葉や自分への戒めの言葉を書き写したノートの初めの方に、しっかりと書き込んでいます。
孤高の虎の姿に人の心の闇を見た
(2008-02-14)
いつだったか、澄んだ夜空の涼しげな月を観て「山月記」を想い出した。
中島敦の作品の中ではいちばん好きな作品だ。
「山月記」は音読すると格調高い文章を更に味わうことができる。
漢文調のリズム感ある文体は読んでいて小気味良く、詩的ですらある。
己の臆病な自尊心のために虎になってしまった李徴の姿には、
芸術家(詩人、文筆家、音楽家などあらゆる創作者)の苦悩を見ることができる。
短い物語だが、言いたいことがストレートに無駄なく凝縮された佳作であると思う。
人間の弱さをえぐリ出し描写することで、読者に自分自身を見つめさせる。
ただそれだけのものなのだが、真に心に迫ってくるものがある。
自分の弱さや短所を指摘されることはあまり気分のよいことではないが、
それを確認して受け入れることは大切であると諭されているようだ。
描写される世界の向こうに読者を引き込み、そして考えさせる、
とても純文学らしい作品だと思う。
臆病な自尊心のため、欠点の指摘を惧れて他者との交わりを断った李徴は虎になる。
人との接触を断つ、つまり社会性を失った結果、孤高の虎になってしまうのである。
人はひとりでは生きていけない、とは誰の言葉だったか?
空威張りする人、尊大に振舞う人、格好ばかり気にする人、利己的な人。
人はひとりでは弱いけれど、こういう類の人はその中でもさらに弱い人たちだ。
他者との間に壁を設け、自分の殻の中に閉じこもっていれば、
常に自分が正しい存在であることができる。しかし、それではダメだ。
客観性を得るため、他者と相互につながる(コミュニケートする)ことが必要。
その勇気を持つことで、人は強くなり、より大きな存在へと脱皮できるのだと思う。
漢字の美しさ
(2008-02-12)
中島敦という作家は薄命な方だった。
33歳という没年は 昭和初期の作家の中で飛びぬけて短命であったわけではない。しかし残した作品を読むにつけて「薄命」という言葉が似合うお方だと思わざるを得ない。
本短編集を読むと 中島という作家は本当に剃刀のような方だと思う。似ている作家として思いつくのは芥川龍之介ぐらいだが 切れ味の鋭さと 一種の香気は 中島の方が一枚上ではないかと 芥川ファンの僕にしても 感じざるを得ない。
村上春樹は 芥川の小説は「使っている漢字がビジュアルに美しい」という趣旨の発言をどこかで行っていた。漢文の素養を駆使して 短編を書いた中島にも その言葉はそのまま通用する。例えば 本書に収められた山月記の冒頭を読んで見れば それははっきりしている。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
絢爛たる漢字としかいいようがない。
そういう剃刀のような作品を書き上げて 33歳で亡くなったのが中島だ。やはり 剃刀のイメージは「薄命」としか表現できない。
おすすめ度:
食わず嫌いしては非常にもったいない作品
ほとんどの教科書に収録されている『山月記』ですが、
未読の方には是非おすすめしたいの名作です!!
才能のある男が虎になった後の苦悩が、
漢字の多い硬質な文体と絡み合ってものすごく良く伝わってきます。
先の才能ある男が作った漢詩にその友人が「格調高雅」と評するのですが、
この言葉はまさしく中島敦の書く文に対して与えられるべきと思います!!
話そのものは悲しいのですが、「読む(読み解く)楽しさ」を
味わわせてくれるという点ではこれまで読んできた小説の追随を許しません。
他の三作品では、『弟子』が心を打ちました。
孔子の弟子・子路が主人公です。弟子になる前の彼は、
すばらしい剣の腕をもち、むしろ無頼漢といった印象があります。
ところが、孔子の人間性の大きさに触れて、弟子になることを決めます。
自分の考えと違うことは堂々と孔子に問い質し、ぶつかっていきます。
孔子のほうもやわらかく大きな心で諭し、子路の気づきを待ちます。
素晴らしい師弟愛がえがかれています。最後の場面では泣けました。
弟子を失った孔子の悲しさが、しみじみと伝わってくるのです。
この短編集は420円では安い。安すぎる。「読む楽しさ」だけでなく、
様々な漢字にであうチャンスを与えてくれます。
本当に力のある小説家だと思います。早く世を去ったのが悔やまれてなりません。
硬質で格調高い日本語
言葉は韻律を楽しむものなのだなぁと思わせてくれる、漢文調の日本語が素晴らしい。
これだけ硬質で綺麗な言葉を書ける作家は他にはいないと思う。
「山月記」については他の方に十分語りつくされているようなので、「李陵」について。
「李陵」は、功名心から歩兵のみを率いて匈奴遠征に赴き、善戦したものの破れて匈奴に降服した李陵と、
匈奴に降った李陵の弁護をしたばかりに宦官にされた司馬遷と、
匈奴に捕らわれたものの匈奴に降伏せずに漢への節義を貫き、のちに漢へ帰った蘇武の物語である。
李陵を軸に、三者三様の人生観が描かれている。
「山月記」の李徴は、虎に転じることでそれ以前の人生のくびきから逃れることができた訳だが、
李陵にはそれができず、過去の敗北を引きずりながら鬱々とした思いに耐えるよりなかった。
とくに李陵の蘇武に対する捉え方ない思いが痛々しい。
例えば紫の木蓮のよう
本をあまり読んでこなかった私にもその文章の美しさが分かります。
例えば、近所の山沿いの畑の近くにある紫の木蓮の大木を見るとき、山の上に浮かぶ冴え冴えとした月を望むとき、芍薬の花の香りをかいだとき、中島敦の文章が思い起こされます。
香り高くて、声に出して読みたくなります(誰もいないときはつい声に出してしまう)。
こんな美しい文章が書けたら、こんな風に適切な距離を保ちつつも自分の想いを、情を充分に言葉に尽くせたら、日記を書くのが幸せになるだろうな(低俗な考えになってすみません)。
「我が臆病な自尊心と…」のくだりは、私の若いころの悪いところを言い表してくれているようです。美しい言葉や自分への戒めの言葉を書き写したノートの初めの方に、しっかりと書き込んでいます。
孤高の虎の姿に人の心の闇を見た
いつだったか、澄んだ夜空の涼しげな月を観て「山月記」を想い出した。
中島敦の作品の中ではいちばん好きな作品だ。
「山月記」は音読すると格調高い文章を更に味わうことができる。
漢文調のリズム感ある文体は読んでいて小気味良く、詩的ですらある。
己の臆病な自尊心のために虎になってしまった李徴の姿には、
芸術家(詩人、文筆家、音楽家などあらゆる創作者)の苦悩を見ることができる。
短い物語だが、言いたいことがストレートに無駄なく凝縮された佳作であると思う。
人間の弱さをえぐリ出し描写することで、読者に自分自身を見つめさせる。
ただそれだけのものなのだが、真に心に迫ってくるものがある。
自分の弱さや短所を指摘されることはあまり気分のよいことではないが、
それを確認して受け入れることは大切であると諭されているようだ。
描写される世界の向こうに読者を引き込み、そして考えさせる、
とても純文学らしい作品だと思う。
臆病な自尊心のため、欠点の指摘を惧れて他者との交わりを断った李徴は虎になる。
人との接触を断つ、つまり社会性を失った結果、孤高の虎になってしまうのである。
人はひとりでは生きていけない、とは誰の言葉だったか?
空威張りする人、尊大に振舞う人、格好ばかり気にする人、利己的な人。
人はひとりでは弱いけれど、こういう類の人はその中でもさらに弱い人たちだ。
他者との間に壁を設け、自分の殻の中に閉じこもっていれば、
常に自分が正しい存在であることができる。しかし、それではダメだ。
客観性を得るため、他者と相互につながる(コミュニケートする)ことが必要。
その勇気を持つことで、人は強くなり、より大きな存在へと脱皮できるのだと思う。
漢字の美しさ
中島敦という作家は薄命な方だった。
33歳という没年は 昭和初期の作家の中で飛びぬけて短命であったわけではない。しかし残した作品を読むにつけて「薄命」という言葉が似合うお方だと思わざるを得ない。
本短編集を読むと 中島という作家は本当に剃刀のような方だと思う。似ている作家として思いつくのは芥川龍之介ぐらいだが 切れ味の鋭さと 一種の香気は 中島の方が一枚上ではないかと 芥川ファンの僕にしても 感じざるを得ない。
村上春樹は 芥川の小説は「使っている漢字がビジュアルに美しい」という趣旨の発言をどこかで行っていた。漢文の素養を駆使して 短編を書いた中島にも その言葉はそのまま通用する。例えば 本書に収められた山月記の冒頭を読んで見れば それははっきりしている。
「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」
絢爛たる漢字としかいいようがない。
そういう剃刀のような作品を書き上げて 33歳で亡くなったのが中島だ。やはり 剃刀のイメージは「薄命」としか表現できない。
